渡辺篤史の建もの探訪 東京都江戸川区・小島邸−NY在住建築家 両親の家 で紹介されているデザインやアイデアをチェックしましょう。
渡辺篤史の建もの探訪 NY在住建築家 両親の家 は、70代のご夫婦2人の住まいです。
建物の外観は、コンクリート打ち放しのボックスタイプ。
駐車場には白いBMWのオープンカー、ご夫婦の心の若さが伺えます。
外壁面の一部には、壁面緑化の為のフックとケーブルが備わります。
雨樋には備え付けのポットがあり、溜まった雨水を庭に撒ける工夫付き、ただ水を溜める容量がかなり少ないので、効果は微妙でしょう。
屋根には太陽光発電も乗る、環境に配慮した住宅です。
設計はご夫婦の息子さん、ニューヨーク在住の建築家ということです。
白い門扉を入ると、すぐに白い玄関ドアです。
中に入ると、右側の壁が一面ガラスでモダンな坪庭が見える明るい空間です。
反対側の壁は壁の厚みを利用した飾り棚、一本ざしのガラスの花瓶が並びます。
さらに手形のアートも並んでいます。
高い吹き抜けの天井から、風車をたくさん集めたオブジェ風の個性的な照明が吊り下がっています。
玄関では、たくさんのアートが出迎えてくれます。
奥に進むと正面が階段、左側にモダンなLDK空間が広がります。
白い天井と壁でまとめた空間には、艶出しの白で作った家具が備わります。
リビングには壁一面のテレビ台兼収納棚が備わり、ソファーや収納付きテーブルも白で統一されています。
白い縦型ブラインドがかかる大窓の先は、コンパクトな庭(ベランダ)です。
振り返るとダイニングキッチン、白い半円(より少し大きい)形のダイニングテープルの上にはモダンな照明が吊り下がります。
その隣に大小2つのシンク付きの台形カウンター、モダンデザインのシャワー水栓が付きます。
背面のIHヒーター付きのカウンターと合わせて、コンパクトにまとまった使いやすいキッチン空間です。
冷蔵庫のサイズに合わせて作ったキッチンなので、隙間がほとんど見られずすっきりまとまります。
ただ冷蔵庫メーカーからすれば、放熱用の隙間が欲しいところかもしれません。
ダイニングテーブルの床は丸い同心円状のデザインのマット敷き、石庭風のデザインにも感じられます。
階段脇を奥に進むと、突き当りが広めのトイレ空間です。
隣は洗面所で、どちらもやはり白い空間でまとめています。
カウンターに載る洗面器もデザインされた個性的な製品で、扉付きの収納スペースを挟んで浴室につながります。
浴室の戸は最近流行の透明ガラス、壁のカラーがグレーとなり、浴室のフタが桧の木の板を並べた個性的な浴室です。
木の桶にモダンなシャワーが備わる、絶妙なバランス感覚でまとめられています。
シンプルな手摺の階段は、踏み板の滑り止めの溝に滑り止め材を埋め込んだ細かい気配りが見られます。
踊り場には、建替える前の古い家の写真にアート風な処理を行ったパネルが飾られます。
登りきった階段ホールの先には、玄関上部の風車照明が見えます。
その階段ホールには机が備わり、書斎スペースとなります。
窓は縦スリットで統一、一定間隔?で並べることで、リズム感のある空間を演出しています。
階段上の傾斜天井には天窓も備わり、明るい空間です。
書斎の後ろには全館冷暖房用の機械が収まり、隣のリビングの上の部分が広い寝室となります。
白い天井や壁に白木のフローリングで、明るく柔らかい印象でまとめています。
壁には、お孫さんの写真をアート処理したパネルが並びます。
開口は大きな掃き出し窓に縦型ブラインドなど、リビング同様のデザインでまとめています。
階段の脇がトイレ、広い空間で手洗いカウンターにはネジやクリップを巨大化したオブジェも置かれています。
その隣はコレクションルーム、着物や鬼瓦など、ご夫婦の趣味の品々がバリエーション豊富に揃います。
NY在住建築家 両親の家 は、RC造、敷地面積122㎡で建築面積59㎡、延べ床面積112㎡です。
1階は59㎡で2階は53㎡、夫婦2人の住まいとしては十分な広さを確保しています。
建築費は2666万円で坪単価が79万円、鉄筋コンクリート造のこだわり設備やデザインでまとめた住宅としては比較的ローコストに抑えられているのは、色や素材を統一したシンプルな作りのおかげでしょう。
今回の住まい 東京都江戸川区・小島邸−NY在住建築家 両親の家 は、モダンな空間を使いやすさやこだわりを取り入れてまとめているところがポイントでした。
白いモダンデザインで統一しつつも、使いやすさを兼ね備える家具や設備を盛り込んでいました。
その白さのおかげで部屋の明るさもアップ、清潔感もプラスされていたようです。
高齢のご夫婦の終の住処としては、始めは違和感を感じることもありましたが、逆にこれからの人生を考えれば楽しく生き生きと暮らせそうな印象が強い住まいでもありました。
生きがいを持って長生きできる終の住処として、明るい一石を投じるような住まいだったといえそうです。